極端分人たかちゃんのブログ

流されやすく、移ろいやすい極端分人なたかちゃんによる 学び、気づき、想いを綴ったブログです

分人たかちゃん

 

 

昨日ふと遊びたくなって、友達と次の日遊ぶ約束をした。

 


いざ次の日の今日になった時、全然その友達と遊びたくない。他に本読みたいとか、やりたいことが出てくる。

 

これはただのわがままなのか。
それとも別の「何か」なのか。

 

「何か」を埋めようとして約束して、
その「何か」をこの24時間の間に埋めてしまって、もういいやってなったのか

そもそもた心から遊びたいと思っていなかったのか。

 


「何か」には、「せっかく地元にいるから砂川の人と遊ぼう」「もう大学も卒業するし、こっちで大学生として遊ぶのもラストだなぁ 遊んどこう」

って気持ちと、

地元の人と乖離した価値観の部分の「寂しさ」「侘しさ」があるのかもしれない。

 

 

割り切って、
遊ぶなら本気で楽しく遊び、他にやりたいことあれば、それを全力でやればいい。

 

わかってる。そんなに難しいことじゃないってのは。「いやシンプルじゃね?」ってのは。

この割り切りをするのが自分はすごい難しい。


「分人」
俺は特にこの分人的素養が強いように思う

 

 

「分人」:小説家 平野啓一郎が作った概念で、

 要するに、

自分というのは、自分ひとりの中に色々な顔があり、そのすべてが〈本当の自分〉であり、一つの単体の個人ではないということ。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

 

小学校から、自分が自分じゃない感覚に襲われたことは何度もあった。

家族いる自分。友達といる自分。学校での自分。少年野球をしている自分。

全て違う感覚。

 

もちろん、野球の試合での一面と、友達と放課後遊んでいる自分では、テンションも真剣度も違うのはわかっているが、

 

自分としては、性格、口調、思考の仕方、など全くの別人かのようになってしまっている気がしてならなかった。

 

ドラマや映画にしても、見終わった後にはあたかもその主人公になったかの如く、同じセリフや、目つき、口癖、言動までし始めるのだ。

 

これは自分でも怖くなる。

 

最近では短期間でweekly otiaiを見すぎたせいで、落合陽一のしゃべり方や仕草が移ってきている(笑)

 

これが無意識だから怖い(笑)

 

 

今まで「憑依」した人の中には、

 

松本人志

 

 

 武井壮

勝つ人 13人のアスリートたち (Sports graphic Number books)
 

 

「マイボスマイヒーローの榊真喜男」

マイ★ボス マイ★ヒーロー DVD-BOX

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プリズンブレイクのマイケルスコフィールド」

 

 

龍が如くの真島吾郎

 

 

実在する有名人から、ドラマの主人公、ゲームのキャラクターまで。。。

 

その時はまってる人なら。無意識に「憑依」してしまう。

 

 

 

最近まで、一緒に住んでる会社の社長の言動や仕草、話の聞き方まで似てきていて、

 

「ああ、憑依が始まったな。。」

 

って思ってるこのこのごろです。。

 

 

こんな自分も前は嫌いだったけど、最近は「まあかわいいな」って思えるようになってきた。

 

これからもこんな自分と上手に付き合っていこうと思う。

 

またこの自分の「分人的素養」や自分との付き合い方のことについて書きます。

 

また明日!